台所でたばこを吸いながら作ったであろう曲を聴いた。
『手首を切った友人』このフレーズを聴いた時、昔のことを思い出した。
はっきり覚えてる幼少期の記憶
小学六年生、夜中、泣きながら自分の心臓に包丁を当てた。
でも、そこから手は動かなかった。
けれど、涙がたくさん出た。
今まで泣いたことは沢山ある。
だけど、あの時は初めて、いっぱい泣いた。
泣きまくった。
そのあと、中学生の時に手首を切ってみた。
先輩の真似だ。
だけど誰も気付いてくれないし、気にかけることも無かった。
あれは愛着障害へと繋がったのだろうか。
私は嫌なことがあると涙を出しやすい。
それが共通しているのかは分からないが、あの時の泣き方はちがった。
今日、あの歌を聴いて、私はどうして手が動かなかったのか、あれだけ叫んだのか、沢山考えた。
考えたけど、答えは出なかった。
私は何不自由ない幼少期を過ごしたと思っているが、実際のところどうなのか。
「愛」というものは与えられてきたのか。
私は分からない。
あの時、誰かが見ていて止めてくれたら。
泣き叫ぶ私に気付いてくれたら。
私は何か、変わっていたのだろうか。
そしたらこんなに人肌恋しいと思わなくなるのだろうか。
分からない。
でも今は、ダレカトイタイ